エジプト旅行記−2

99年12月16日(金)

−アパート−
 カイロ空港にマホメットさんを迎えに来ていたのは、お父さん、お父さんの弟、奥さんのお父さん、奥さんの弟、と大人数であった。エジプトでは、家族の結びつきがかなり強いようだ。私は、お父さんの車(当然ベンツ。でもかなり古い)に乗り込んで、マホメットさんのアパートまで送ってもらった。カイロからアパートまでは、片側4車線もあるかというような素晴らしい道路。電線も全く見られず、日本よりもきれいなくらいである。電柱には、ムバラク*の肖像画がやたらとかかっていた。(第一印象がいいと、その後苦労するものだ)
 30分位でマホメットさんのアパートに到着した。外観はかなりみすぼらしく、廊下には工事中のコンクリートがほったらかしにしてあるようなアパートだった。???と思いながら室内に入ってみると、調度品は綺麗で、お金をさりげなくかけているような雰囲気。部屋には、チキンの丸焼き、ごはんをキャベツのような葉で包んだ料理といったごちそうが用意してあり、飛行機内でえげつなく食事をしていなければ(1.5時間前くらいに、メインディッシュを2皿も食べてしまった。)、ぱくぱくと食べるところだ。随分とたくさん作ってくれていたので、次の日の朝の食事に備えて、喜んでもち帰らせてもらった。


マホメットさんのアパート(上の看板は、TOYOTAと書いてある)

 泊めてもらう以上、手ぶらで行くわけにも行かないので、おみやげを用意していった。

お父さん:万歩計(これは、成功だったと思う。お医者さん(軍医)だったこともあって、興味を持ってくれた。)

おくさん:あぶらとり紙、折り紙の本(これも成功。日本に住んでいた時から興味があって、マホメットさんに買ってくれるよう頼んでいたらしい。マホメットさんが本を買うのを忘れていたので、ますます good タイミング)

子供たち:女の子には千代紙。男の子には、コマ。それと、100円ショップの時計。(これも、まずまず)

というものである。後で考えても、この選択はよかったようだ。

 奥さんには、おみやげを手渡しで渡せると思っていたが、この時は忙しいからと断られた。その後、結局一度も奥さんに会うことはなかった。(室内には、いるのだが)どうやら、異教徒で男性の私にはできるだけ姿を見せないようにしているようだ。
 既婚のイスラム教徒の女性は、家族以外の男性には姿を見せないようにベールをかぶって、目しか外に出さないのがクラシックな掟だが、最近はそんな人は殆どいない。マホメットさんの奥さんはかなり珍しい存在である。

 私は、マホメットさんのアパートから片側4車線の道路をわたって、10分くらいの距離のアパートに住むことになった。このアパートは、マホメットさんのお母さんの所有するアパート。以前はトルコ人の学生に貸していたのだが、現在は空き家になっているため、貸してもらえた。部屋は、3部屋(リビング、ベッドルーム2部屋)と台所、バスとトイレという間取りで、どの部屋を取っても、私の1ルーム(8畳)よりも広いくらいの立派(古いけれど)なものである。ここに約3週間住んでいた。

−カイロの住宅事情
 土地があまりにも高く(いい住宅街で、18万円/平方メートルくらい)、庭付きの家を持っている人はおらず、(といっていいと思う)全員がアパート住まい。このため、土地が広い割に手入れされている庭が無く、都市に緑が殆ど見られない(砂漠性気候ということもあるだろうが)。せいぜい街路樹くらい。砂地にアパートが建っているような感じになってしまって、なんだか建物全体がくすんだ感じに見える。空き地には、2−3匹のやぎが放牧?されていたりした。

 
    近所のやぎ            住んでいたアパートからの眺め

−ムバラク
 エジプトの大統領。この時は、選挙が間近なのでポスターが貼られていた。写真の下になにやら文字が書いてあるので聞いてみたら、「Yes to Mubarak」と書かれているそうだ。エジプトの選挙は、対立候補のいない選挙で(選挙とはいえないと思うが)、しかも、ムバラクの政策に対して、Yes No のどちらかの意思表示をするだけ。No に○をすると刑務所につれて行かれることもあり得るので、結局毎回ムバラクが当選する仕組みになっている。それでも、民主主義ということをカモフラージュするためにムバラクの得票率は、94%程度と発表される。よく見ると、新聞の一面には必ずムバラクの写真があるし、この面からだけ考えるとエジプトは、社会主義といっても過言ではないだろう。


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