エジプト旅行記−17

99年12月21日(火)

 前日はアリーにごちそうしてもらったのも、1日たつと忘れてしまうもの。もう0時をまわってはいるが、初めて自分なりに欲しいものを買って食べることができる。うきうきしながら包みを開ける。残念ながら飲み物は水しかないが、それでもエジプト人の親切に本当にふれた気がしてうれしい。ポテトサラ ダにややタマネギが多い気がするものの、味付けは日本人好みであり、あっというまに平らげてしまった。
「これで、今後食事に困ることはないだろう。。」と考えながら、ベットにもぐり込んだ。  5分後、胃の調子が若干おかしい。「まあ、大したことはあるまい。正露丸でも飲んでおこう。」
だが、いっこうに収まらない。「もしかして、もどしておいた方が楽かもしれない。が、、」と思いながら、30分ほど横になる。
 ダメだ。どうしても収まらない。意を決して、トイレに行った。戻すだけでは収まらず、下痢まで。そこからは地獄。20−30分おきに、下痢と吐き気がおそってくる。横になっていても目がぐるぐる回る。とても睡眠をとるどころではない。
 「こんな時一番気をつけなくてはいけないのは、脱水症だ。」と飲みたくもない水分を補給。それにしても、原因はナンだろう。細菌にしては、潜伏時間が短すぎる。この前の和歌山カレー事件の文芸春秋の記事によると、食後直ちに食中毒症状が始まるのは、細菌感染症ではないと書いてあった気がする。細菌性ではないのか?でも、それ以外には考えられないが。。
考えられるのは、細菌が毒素を十分産生するくらい増殖していた場合か。これがもっともありそう。
 挙げ句の果てには発熱まで生じ、関節が痛くなってきた。エジプトに来て今日まで、何もいいことがなかったような気がする。遺跡もまだ、殆ど見ていない。このまま、カイロで過ごして終わってしまうのか。
。  ミネラルウォーターをどんどんと飲んではいたが、だんだんと残りが心細くなってきた。「しまったもう少し昨日買っていれば良かった。」が、後の祭り。13時頃、痛い背骨にリュックを背負って、お店まで行った。その道のりの長いこと。通常なら、8分くらいの距離で、どうということもないのに、いくら歩いても店に着かない。3倍くらいの時間をかけて、ようやくお店に到着した。購入したのは、
ミネラルウォーター2本(1本・1.5リットル入り 1.5LE/本=45 円)
300ミリリットルいいのマンゴージュース2本(1.25LE/本=38円)
である。マホメットさんには今日アパートに行けないことを連絡し、背中に食い込むようなリュックを背負って、えっちらおっちらアパートまで戻った。本当なら栄養をとりたいところだが、怖くて何も変えない。タンパク質を食べられれば元気になる気がするが、肉を満足に食べられるようになるのは、いつの日か。。これでは、日本からガイドブックを送ってもらわないと何をしにエジプトまで来たのかわからない。。と思いながら、吐くものの無くなった胃袋を抱えて眠り込んだ。

(エジプトのトイレ)洋式が殆ど。日本の和式便所スタイルもあるにはあるが、見かけたのは古いモスク、アブシル村のアリーの家、古い駅の3カ所くらいであった。特筆すべきなのは、すべての便器にウォシュレット?が付いていること。日本のように便座からのびてくるものではないが、同じく便座の隙間に、水道管から細いパイプがU字型に伸びていて、丁度お尻の部分にあたるようになっている。蛇口が便器の横に付いていて、それで水流を調節する。エジプトは暖かいため、水道の水直接でも何ら問題はない。もちろんU字の部分は汚れるが、それは掃除すればよいという考えだろう。
 ウォシュレットは日本の発明品とばかり思っていたが、どうやらTOTOの人がエジプトでも旅行して真似しただけなのではないか。列車のトイレ、博物館のトイレ、ホテルのトイレ、食堂のトイレ、すべてのところがこの方式であった。残念ながらトイレットペーパーは備え付けられていないので、洗ったあと手で水分を切って終わり。(もちろんそのあと手は石鹸で良く洗います)
今回の下痢でトイレットペーパーを使っていれば、もっと悲惨な羽目になっていただろうが、この点だけは救われた。

 今日歩いた距離:約5キロ


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