エジプト旅行記−14

99年12月20日(月)−2

 車に乗って最初の交差点(ものの100メートル)でいきなり路面電車の線路にぶつかった。「しまったここまで歩いていたら、もしかしたら(*)場所が独力でわかったもしれない。」と思ったが後の祭り。

エジプトの路面電車(あまり綺麗ではないが、快適)

 ところで、二人とも典型的なエジプト人には見えない。聞いてみると、一人はギリシア人で旅行業をやっていて、もうひとりはコプト教(**)エジプト人らしい。(むろん、あごひげはない)恰幅の良いギリシア人が
「そうか。エジプトに観光できているのか。じゃあ、通り道にあるから、ヘリオポリスを以前支配していた人が住んでいたお城に連れていってあげよう。」
またまた、都合が良すぎる。その城のまわりを一周して、説明までしてくれる。(バロン城だったと思う。ベルギー人がたてた謎の建物)

 しばらく走ってから、「おまえのアパートの正確な場所はわからないが、ここから近いはずだよ。ここで降りればいけるはずだ。」と言って、大きな通りで降ろしてくれた。どうやら、今回は本当にいい人だったようだ。高級住宅街で話しかけてくる人には、悪い人はいないのだろう。
 降りたはいいが、また場所がわからない。遠くには、無名戦士の墓(近代的なピラミッド「枠組みだけで、高さ10メートルくらいの小さな!もの」)が見える。また、地図と方位磁石を組み合わせてみると、ナズール道路みたいであるが、確信が持てない。仕方がないので、近くにいる人に聞いてみた。この人は英語がわからないようだが、英語のわかる友達を紹介してくれた。(なかなか、みんないい人じゃないか。。)
 やはり思ったとおり、ナズール道路にいるようだ。地図上で見るとアパートまで歩くには、やはりまだ遠い(5キロ近くあると思われる)アパートのまではほぼ一本道。しかも目指す方向に向かって、バスが何台も走っている。「ええ、ままよ。このバスに乗れば、目的地には近くなるはず。途中で曲がればその時に降りればいいや。」と考えて、乗り合いバスに乗った。


後部ドアが開きっぱなしのバス(これでも走行中)

 以前も書いたとおり、バスはキチンとは止まってくれないし、後部ドアは開きっぱなし。文字通り走って飛び乗った。乗り込むと、車掌さんが通路を向いて、机に座っている。机の上に置いてある赤い乗車券には、25ptと書いてある。どうやら、これが運賃のようだ。(昨日、カイロからアブシール村に行ったときの最初のバスと同じ)運賃を支払うと代わりに乗車券をちぎって渡してくれた。どうやら、正しいバスに乗ったようだ。見覚えのある景色になってきた。車内には停車ベルはないので、運転席の横の降車ドアのステップに足をかけて、運転手に降りたいと身振りで示した。ドアは開けてくれたが、相変わらず走ったままである。スピードが随分遅くなったと思ったときに降りたが、そ れでもつんのめって転びそうになり、ふくらはぎも痛くなってしまった。いやはや、乗るのも降りるのも大変である。

 無事にアパートにたどり着き、両替したばかりのエジプトポンドをリュックなどにしまってから、しばらくぼーっとしていた。(当然?のように朝食は、パンと水のみしかとっていない。)まだ、11時くらいである。
「今日こそは、ナイルヒルトンホテルに行って、ガイド本を買ってこよう。」昨日とおなじようにマイクロバス、地下鉄に乗り、タハリール広場までやってきた。さすがに今日はアリーはいない。ようやく、ヒルトンホテルのショッピンブモールに到着した。

(*)ヘリオポリスには、路面電車が随分と走っているが、どの地図を見ても路線図は乗っていない。つまり、路面電車の軌道がわかっても、場所を確認するのは非常に困難。どうして地図に載せないのか、未だに謎である。

(**)原始キリスト教会の流れを汲むと言われる宗派。カルケドン公会議で異端の宣告を受け、少数派となってしまう。エジプトの全人口の1割を占めている。日常の服装や生活様式は、イスラム教徒と変わりはない。結婚はコプト教徒同士でないとできず、かなり大変。


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